諏訪ゼミナールにおいて、最も重要な時間は対話の時間であった。
それぞれがどのような議題を抱え、何を話したいか。そうした中で生まれたテーマが「生活と制作」であったと思う。
諏訪ゼミナールにはゼミ展というものが無い。それは結果的に非常に良かった。展示に向けるべきエネルギ−が純粋に対話の内容に向かったからである。そうした純粋さは結果的にペドロコスタ監督、黒沢清監督の特別講義をひらくという方向に向かった。この二つの特別講義は、何故開かれたのか。それもやはり純粋に聞きたいことがあったからである。ゼミ生同士の間に生まれる対話によって、個々が抱える疑問はより研ぎすまされ、明確になると同時に大きく膨らんで行くことになったのだ。
私がこの一年間、様々な人との対話を通して強く心に残ったのは、誰も映画の話をしていない。ということだ。いや、映画の話をしていないというのは語弊があるかもしれない。「映画とは」「ドキュメンタリーとは」という話はなかったということである。それと同時に「こうあるべき」「そうでなくてはならない」というものもなかった。そのせいか、映画の話をしなければならない、ということもまた、無かったのである。統一された価値観が無く、全員が団結して目指す目的なども無いということは、自由である一方、危険でもあった。そんな状況での特別講義では、ゼミ生(少なくとも私は)はペドロコスタ監督や黒沢清監督に対して心酔して、好きだから話をしたいと思ったわけではない。そこには常に「疑う」という気持ちがつきまとっていた。例えば、ペドロコスタ監督特別講座の終わったあと、締めの挨拶で諏訪教授が言った台詞が印象的だ。「人には一生携えていく言葉というものがある。そうした言葉を今日聞けた人もいるのではないだろうか」こういった内容の挨拶であった。携えるとは何だろうか。私自身、ペドロコスタ氏の言葉をいくつも覚えている。そしてその言葉を何度も反芻し、問うているのだ。それは疑うことでもあり、自分との「対話」でもある。
もちろん、諏訪敦彦教授の言うことも何の疑念も無く聞いていたわけでは無い。諏訪ゼミナールではそこで生まれる疑念を、解消できるチャンスが与えられていた。それも「対話」なのだ。
さて、この一年間つきまとっていたテーマ「生活と制作」についても、私は様々な疑念を抱き、対話を重ねた。といっても、「生活と制作」というテーマは非常に広大なテーマだ。少なくとも私の大学生活においては、生活、そして制作、それら二つが全てと言っても過言では無い程なのだ。しかし、ゼミ生の中では「生活と制作」というテーマはしっくりときた。それ以外無いのではないかという程にしっくりきていたのだ。私はそのしっくりくる感覚に全ては凝縮され、またそこから拡散していくのだとも思う。
ゼミ生のするバイト先の話もふとした話も社会問題についても、全ては私たちの生活と制作に関わっている。この一年間で交わした対話は、私たちの生活の中で拡散し、制作によって収束する、またはその逆もありうる。
諏訪ゼミナールで生じた対話はそのように私の中で息づき、しっかりと根を張った。
最後に、この一年間諏訪ゼミナールに関わってくれたゼミ生、ペドロコスタ氏、黒沢清氏、そして諏訪教授に感謝の気持ちを伝えたいと思う。しかし、そんな感謝の気持ちもこの場に書き表すことは難しいだろう。ここに書くべき感謝の気持ちは私の今後の人生の中で、生活と制作の中で伝えなければならないとも思う。
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