2010年6月12日土曜日

広域表現 Feedback Performance Show

本日のゼミは、広域表現の授業の作品「Feedback performance」(指導/河村美雪)の鑑賞という事だったのですが、時間の都合上、アフタートークはもとより、ゼミ生同士でも意見や感想を言い合うなどの機会が無かったように思われるので(友人同士などでは無論あったと思いますが)、この場で多少なりともできたらいいかなと思い、トピックを立てました。

各作品の感想(ご都合で出られなかった人は掴みにくいかもしれませんが)、全体を通して感じたことなど、
時間を置いた「フィードバック」として、面白い方向にもっていけるのではないしょうか。

5 件のコメント:

  1. 意図が明瞭かつ作家の意図さえ超えたいわいる「怪物」のような作品足り得なかったとの指摘もあったようですが。
    「参加者」としては様々なアプローチで、共感やコミュニケーションのあり方を、なにより身体を通して体験させてくれた各作品であり、参加者自体がそういった行為の難しさ、そもそも共感とは何ぞや?みたいな事を「体の疲れ」とともに感じられたように思えました。

    そんな中、映画について考えた事。
    参加者は、各パフォーマンスが提出してきた共感のあり方を、様々な形で試みたり、成功したり、成功しなかったけど,楽しんだりしたりしていたと思うんですが、ひとたび「スクリーン」に映像が投射される形に作品が進むと、誰もが鎮座し時間を預けてしまう。
    そんな強力な力を「映画」は不可避に成立要素としてきたのだとあらためて思い、映画の暴力的になりうる側面や、共感や反発を糧に歩んできた映画史について考えたりしました。

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  2. 一週間で作ったという事が凄いな〜と、単純に思いました。
    一番なんか、グッときました。

    最後の発表は観られなかったのですが、その中での感想です。
    主催者?の生徒さん方の役者っぷり?が楽しかったです。

    「演劇じゃないのに、演劇が観られる」という感じ。
    参加した自分も、演技?少しはした気がします。
    作品でなく、レッツプレイ!と友人に縄跳びを渡された場合、私は縄跳びをしないと思いますので。
    縄跳びをしている人を見る方が好きなので。

    だとすれば、私はあの場で、縄跳びをしないべきだったのかな?と今は思います。
    「参加しなければ」という気持ちがその時の私の中にあったのですが、そんな自分に不信感を少し抱きました。

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  4. 終わりでのトークで話題になりましたが映像の使い方がやはり映画を作っている人間とは違うと感じました。
    なぜなら、Feedback performanceの作品群では映像を機能的に考えてるように感じたからです。映像から何かを作るのではなく映像を一つの切っ掛けとして使っていました。例えば、最後の作品では一方的に見えている人間と見られている人間という二つのグループの間に映像が入って役割を生み出している事などです。こう感じるのはわたしだけかもしれませんが。

    自分としては映像から発想することが多いので不思議な感覚でした。

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  5. >きふねさん

    隣でさっきまで作品の説明をしてた人がいきなり演技を始めると、なんだかふいに演劇にまきこまれたようで、不思議な感じがしましたよね。参加者を演技へと誘う空気さえ流れてたのかもしれないですね。
    ただ、「参加しなくては」と意識するのは「自分」から離れる行為でもあるかもしれないけれど、単純に気遣いというレスポンスと捉えてはだめなんですかね?


    >かしわやさん

    最後の作品はたしかに「切っ掛け」としてつかっていたようにも見えますね。
    ただ、あの一連のパフォーマンスすべてが作品と考えた場合、あのパノプティコン的な映像は「切っ掛け」であり「結果」とも言えると思います。
    あれ?どうなんだろ。そもそもあの作品群の鑑賞者ってイコール参加者なのかな?
    それとかしわやさんの、命令する側にうつった時の楽しそうな顔にはビビリました。俺なんて命令する側のがビクビクしてたのに笑

    あ、この逆転っておもしろいすね。

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