2011年1月6日木曜日

1月7日

あけましておめでとうございます。

突然ですが、1月7日に大学で、特別講座に関する会議をしようと思います。
もちろんみなさん果てしなく忙しいと思いますので、出席者は限られてしまうとおもいますが、出席できないゼミ生も、ブログ等を通した意見をお願いしたいです。

特別講座に向けた話を固める事はもちろん、各自が直面している制作の問題に対して何か還元があるような話し合いになればおもしろいと思います。

3 件のコメント:

  1. ずっと参加できずにごめんなさい。明日も参加できないので、代わりにこちらに書き込みます。

    具体的な質問ではないのですが、今自分が制作を通して直面している問題というか、ひとつ気になっているのですが、今までは、自分にとって映画は「表現の手段としての映画」だったんですが、最近になってやっと映画を通していろいろ、考えたり映画を通して自分の何かが進んでいったりする感じがします。
    だから、製作者としては黒澤監督がこの映画を作っているときに何が変わっていったんだろうとか、この映画を作っていなかったらこんなことは思わなかっただとか、そんな話が聞けたらなと思います。
    んーん。まだ具体的には言葉にできないのですが、制作が終わるころには何かしらの質問ができるかもしれません。

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  2. 風邪をひいて参加出来そうに無いので書き込みを。
    最近ゼミ出れてないので、前回の書き込みなどを読みました。
    「人間好きですか」はどう答えるのか気にはなります、少しざっくりした聞き方だから失礼かなとは思いますが。
    私がこう質問されたら、あまりにも多くの事から説明しなくてはならないから、大変な気がします。

    黒沢清さんの「降霊」に出てくる奥さん恐かった記憶があるのですが。
    黒沢清さんって結婚されているのですか??
    実際に結婚してるかどうかはどうでも良いのですが、どうやって女性像をつくっているのかなぁと。
    あれは、彼女じゃなくて、奥さんだから恐いような気がします。
    単純に男性が主人公だから、女性があんな風だったら面白くなるんじゃないか、てのはある気がしますが。
    「東京ソナタ」の奥さんは恐くは無かったですが、女性の基本型は変わっていない様な気がしました。


    「東京ソナタ」少し物足りなく私は感じたのですが、もしかしたら、あんな風に多くの人を描く事って、黒沢さんの映画ではあんまり無かった事なんじゃないでしょうか?
    「地獄の警備員」は、主人公は女性でしたけど、なんか主人公?は警備員の様な気がしました。
    いつもは「嫌ぁな気持ち」が一人に集中している様に思います。

    それが役所広司だったり、警備員だったり。
    「東京ソナタ」は全部に少しずつ「嫌ぁな気持ち」が分散されていて、なんていうのだろう、少し前進するような姿勢がある様な気がしました。
    それは有名な役者さんを多く使った事などと含めて、何か変化しようと監督自身が思われたのでしょうか?

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  3. >taichiさん

    たしかに黒沢監督も時代を経て変遷してるはずですよね。それが意識的なものなのか、無意識的なものなのかとか、含めて面白いかもですね。世界に対する意識みたいなものももちろんあるでしょうし、あるいはペドロの言うところの政治的な部分で変わったところもあると思います。というか政治的な抑圧の中で撮り続けたひとでしょうし。

    >木舩さん
    「嫌ぁな気持ち」ってのはおもしろいっすね。たぶんそれを持つ人物は「人間」なんだと思います。いや、うーん。その言い方は飛躍しすぎか。

    「嫌ぁな気持ち」を捨てない人間を黒沢清は殺さないなあと今、思いました。逆に、「嫌ぁな気持ち」を持ってない人間。サバサバと世界を割り切ってとらえている人物や(「回路」の花屋の主人や、ミチ以外の店員)、「あんた誰?」って聞かれてすぐ答えられちゃうような、自分を対象化できる範囲にとどめている人間(CUREで間宮に感染しちゃう人達)簡単に人を把握したと思っている人間(アカルイミライの社長)はことごとく殺されちゃいますよね。

    「トウキョウソナタ」では、確かにそんな感じのモヤモヤをみんな持っていたように感じます。その「嫌ぁな気持ち」を言い換えると(言い換えないほうがいいのかな)質問としておもしろくなりそうだなぁと思いました。てかおもしろいですね。

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