トウキョウソナタの鑑賞と、特別講義に向けての話し合いでした。
当日の進め方なんですが、参加者との対話方式は維持させる事になりましたが、今回はゼミ生が講義に直接関わることで、ある程度方向性を定める事にしようという事になりました。
方法としては、ある程度具体的にテーマを設定し、それにそった質問をゼミ生がまずする事で、講義を最初に加速させ、同時に舵とりをする事にしました。(ただ、その質問を講義内に行うか、事前に送るかはまだ決まってません。)
そこで、宿題といういい方は語弊があるかもしれませんが、各個人が黒沢清監督作品を鑑賞して、質問したいこと、気になった事を考える事になりました。(もともと持っている方もいるとは思いますが。)
質問としては、まあなんでもいいには決まっているんですが、「このシーンは誰々のオマージュか…。」「この映画におけるアメリカとの距離は…。」という映画史的な質問よりは、ゼミを通して考察してきた観点を絡めるほうがいいと思います。
ただ、そういった質問を脈絡なくいきなりぶつけるのは黒沢清監督も困るので、映画を見て生まれたひっかかりと、いままで議論してきた問題意識をからめて質問を練りだそうという事になっています。
たとえば、トウキョウソナタの中で交わされる、母親と長男のあまりにも率直でドキリとするくらい暖かい切り返しに対する引っかかりをきっかけに、黒沢清監督の「人間」をかく(かかない)事への姿勢を思い出したり、ペドロの作品について語った時のカメラと役者の関係を思いだしたりしながら質問をつくっていくような形が映画的だと思います。他にも、例えば黒沢作品における「家族」の扱い方が気になる等といっていたゼミ生もいました。
ちょっと外れますが、作家を目指している聴講者がいるのも、美大での講義の特徴なので、「制作と生活(とお金)」などの現実的な質問もなにか映画作品と絡めて考えられると思います。
あと、そもそも、なんで黒沢清を監督をお招きしたいのか、というのが、大枠のテーマにもつながってくるのですが、もしかすると共有できてないかもしれないのでまだ纏まっていないのですが、書きます。
返信削除いとも簡単に人間を書けると思っている映画への抵抗から、「人間」という存在の内面の書ききれなさを繰り返し論じ、作品においてはジャンル映画特有の定型におさめる事で逆に浮き上がるリアリティーなどを追求していた同監督が、「復讐2」や、「CURE」 等から微妙に家族や日常を映画に取り込むようになり、近年、人間合格やアカルイミライ、トウキョウソナタ等(どれも並列できない作品ではありますが)あまりに身近なテーマをきっかけないし要素として映画製作を進めている(ようにみえる)ことに対して、の驚き、単純な共感をそこに感じてしまっていいのかという疑問。あるいは、どういう心境の変化があったのかという率直な疑問。ペドロコスタ監督との講義の延長としては、一見真逆に見えるペドロ•コスタの映画にたいする、というより人間に対する姿勢と、黒沢清監督の人間に対する姿勢は実は似ているのでは無いかという点。
あるいは、もしかして、人間好きですか?などというようなちょっと怒られそうな質問まで雑多ながらも共通してそうな、こんな感じの考えが一部のゼミ生と黒沢監督をお招きをして、お話をしたいと思った理由です。ああだめだ。ちゃんと書きます。
講演集「黒沢清、21世紀の映画を語る」に「人間」の講義があります。いろいろヒントがあるように思います。
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