未だにブログの使い勝手がよく分からず、変な使い方になってしまっていたらすみません。
このブログのコメント数などからも分かるように、私は正直このゼミにあまり積極的に参加することができませんでした。
教室で議論をしている時も、「みんななんだか難しいことを考えているのね」というような感じで、こんなことを書いたら四年間何をやってきたんだと怒られてしまいそうですが、私は映画的に〜、だとか、〜の構造が、とか、そういったものにほとほと嫌気がさしてしまっていたように思います。
今だから書くことができますが、そうした議論に順応できない自分と皆との差異に悩んだ時期もありました。あるいは、それは今も続いているのかもしれません。
ただ、皆の議論を聞いていて私自身が何の興味も感じず、考えなかったかというと決してそういうわけではなく、時たま言いようのないモヤモヤを感じてしまう時もあって、そんな時、拙い言葉をたぐり寄せてやっと吐き出すと、皆予想外にその一言をひろってくれるのにドキドキしていました。
ある日一本の映画作品を見て議論した後(もちろん私は終始ぽかんとしていた)電車の中でゼミの友人と話をしていて、思わず私が「私は馬鹿だから、全然意味わからなかった!眠たくって、何が映画的ですごいのかとか、わかんなくて、腹たつ!」というようなことをこぼしてしまったことがありました。
友人はごく真剣な顔つきで、全く嫌味なく「隈井さんはそれでいいと思うよ」と返してくれました。
分からない自分に自己嫌悪を感じる必要がないということは分かっていたし、それからの私の「映画的な」ことに対する見解が大きく変わったわけではありませんが、授業とは離れたいつかどこかの電車の中でのこのやりとりが、私にとってのこのゼミの存在を一番象徴していたように思います。
これから受講する学生のために少し付け足すと、当初、私は諏訪ゼミ=ドキュメンタリーという認識を持って履修しましたが、今思えばドキュメンタリーだけに限った内容ではなかったように思います。
それよりは、今まで自分たちが当たり前にカテゴライズしていた『ドキュメンタリー』『フィクション』という言葉の概念を改めて疑ったり、『映画』というものの在り方に対して様々な角度から考える機会と言った方がいいような気がします。
個人的には、諏訪先生の社員時代の幻の企業VPや金沢のこども映画教室の記録を観ることができたのが素直に面白かったです。
特に教育としての『映画』はまだまだ議論されていない分野ですし、(というよりそもそも映画を教育にぶち込むという考えに今まで及ばなかった)実際にリアルタイムで映画教育を受けている立場だからこそ考え得る、提案できることが沢山あると思います。
なんだかレポートというよりは私的な感想文のようなものになってしまい、すみません。
やっぱり小難しい文章を書くのは柄じゃない、というか苦手ですが、一年間こんな私を仲間に入れてくれた諏訪先生とゼミの皆さんに心から感謝しています。
あまり関係ありませんが今月15日の追加講評会で私の卒業制作を発表できると思います。
よろしければ皆さん是非いらしてください。
あと、田村くんも言っていましたが、飲みたいですね。では。
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