雑誌の内容を明確化していく前に、久保寺君の意見にある、個々が考える「ニュー・ドキュメンタリー」とは何かを考えていくべきですね。それを考えなくては、企画内容が明確にならないとも思いますし、共通言語を構成していかなければ(しようと試みなければ)、今後の話し合いも単なる堂々巡りに陥ってしまいすよね。なので僕も、久保寺君と同様に、9月の頭に皆で、「ニュー・ドキュメンタリー」だと考えているものを持ち寄る事に、賛同です。
皆さんは、どうでしょうか。
これは、参考までに書き込みます。
吉増剛造さんとの対談の中でのホンマタカシさんの発言です。
「報道的なドキュメンタリーではなく、個人的なドキュメンタリーとはどの様に可能かを考えるものとしての「今日」のドキュメンタリー」「吉増さん(のgozo cine)のなかに、その答えがあるといってもいい」
(7/30ポレポレ東中野 「予告する光」アフタートークにて)
イトー
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