2011年5月13日金曜日

新年度ゼミブログの招待状

遅くなりましたが、本年度のゼミブログの招待状を送りました。登録できない人は明日教えてください。

2011年4月26日火曜日

2011年4月23日土曜日

お久しぶりです。ちょいと。

CS-Labの栗木君が、「CS-Labの雰囲気が無機的すぎて、おもんない。とにかく熱量が欲しいから、なんでもいいので、テキストを一時的に壁に貼りたくりたい」といってました。黒沢さんの講義に向けたブログ上の話合いを、プリントアウトしていいでしょうか?ちなみに、レポートはプリントしませんので。よくも悪くもある種のオブジェなんで、あまり見られないと思うけどね。

ちなみにこのLabの提案した根本的なアイデアに一言あるなら、CS-labのアカウントに直接。
なおかつ、仮にですが、時間ある人、CS-Lab会議に直接。

@TZUCSLab
http://tzu-cs-lab.blogspot.com/

2011年4月22日金曜日

柏屋拓哉 ゼミレポート

映像は危険なまでにありのままの世界を映しだしてしまいます。しかし、作家はその映像の使いどころを選択することが出来ます。作家の意志を付加させることで観客に対して作家がどのように世界と対峙してきたのか示すこれが重要な事なのです。観客にどうやって自分の戦いの痕跡を見せるかが。そして、同時に作家は被写体と観客に対して責任を負わなければいけないのです。被写体を傷つけ撮影した映像にさらに自分の意志という傷をつける。そうやって出来た傷だらけの映画を観客に見せる。いい意味でも悪い意味でも被写体に対しても観客に対しても大きな衝撃を与えることになります。その点で言えば「ドキュメンタリー」と「フィクション」という比較は成り立たちません。

私は卒業制作でこの事を痛感しました。演技を拒否されてしまったのです。私は最初なぜ演技を拒否されてしまったのか全くわかりませんでした。しかし、今に思えば脚本を一切書くことなく加えて意図さえも相手に伝えることを放棄していました。これは暴力と表現されてもおかしくない行為でした。自分は相手から攻撃されない安全な場所へと閉じこもり相手を危険な場所へ向かわせていました。これは作家として恥ずべき行為だったと自分では感じています。共に制作するという事を完全に忘れてしまっていたのです。私がやるべきだったのは相手と共に危険な場所へと向かう事か相手を安全な場所へと導くことだったのです。この経験を通して共に作るということが私の最大のテーマに成りました。映画は一人では決して制作出来るものでは有りません。敢えて危険な言葉を使って言いたいです。映画制作で最も気にするべきなのは「道徳」ということです。

諏訪ゼミナールとしての総括というか感想に成りますが個人的にはとても良いゼミだと感じる反面危険だと感じる部分も有りました。映画の生徒が多い事もあって自分も含めてですが作家と被写体の関係についての議論が中心になっていましたが私たち作家が作品を見せるのは他の作家(そういった作品が存在していますし重要だとも感じますが)ではなく、無差別な人間ということです。私達には無差別な人間の視点という物を鍛えていかなくてはならないのでは無いでしょうか?


文章を書くのが下手という事も手伝ってかなり遅いレポートとなってしまい申し訳有りませんでした。ですが、拙い文章(誤字脱字があったらすみません)ですが皆さんに読んでいただけたらと思います。

p.s.また、ゼミの皆とお酒が飲みたいです(笑)

2011年3月2日水曜日

ゼミレポート 木舩理紗子


ゼミについてのレポートを書くという事ですが、どうしても4年間の事を振り返ってしまいます。入学してすぐ、自己紹介をクラスの皆の前でしましたね。あれを諏訪先生はビデオに撮ってらっしゃいましたが、どこにいったのでしょう。
そのとき、自己紹介で皆が好きだと言っている映画を私は知らなくて、なんで私は映画専攻にいるのだろうと思いました。なんとなく来てしまった負い目を感じ、そしてそれは今もあります。(あるCMプランナーさんに憧れて、なんとなく映画専攻にきました。)
卒制を編集中に、ある人に見せたとき「あなたはこの先も映画撮る気があるの?」と言われて「辞める気はないです。」と答えると「そうだと思わなかった。映画で考えているフリをしている様にみえたから。」と言われました。
そう言われると、「そうなのかも」と思います。その時は「そんなつもりは無いですよ。」とは答えましたが、やっぱりまだ良く分かりません。

私がゼミで興味を持った事は、映画にまつわる事であったかもしれませんが、そこに映画がなければその話が出来なかったのか?と考えると分かりません。
私が映画にまつわる人達の言葉や姿に興味を持つ時、そこに映画はあるのだろうか、と思います。
ゼミの中で、私は映画で考え(フリもあっただろう)たり、何も考えなかったり、そんな事を断続的にしていました。
特に教室内が沈黙するとき、私は皆が考えているのか、何も考えていないのか、分からないなぁと思う事がありました。
そして自分の事も、今何を考えているのか、もしくは何も考えていないのか…?…と。
この沈黙の時に訪れるものは、宇宙のように感じました。
その宇宙の中で発言をすると、それに何か返ってくる。という事は気休めかもしれませんが頼もしく感じました。そういう風にその場にいました。
あるとき、私が「何が分からないか分からない」というような議論になりようも無い発言をしていたら、諏訪先生が「それが、木舩さんが考える時なんだよ、考えなきゃ。」という様な事をおっしゃりました。
実はまだ、どの様に考えていけば良いのか分かりませんが、そうかぁと思いました。

「なんか分からない、何について考えたら良いのか分からない」と思いつつ発言するに至る雰囲気があり、そこからなにか抽出してくれる友人がいて、そこでまだ何かしら先がある事をほのめかして下さる先生がいました。
その恵まれた環境の中、最終的には自分一人で決めなくてはならない、と背中を押された様に思います。
それはとても大きな事でした。
色々な意見があって、その人(作家)それぞれの接し方や言い方がある事を知りましたし、その差が大きくとも小さくとも、あまり関係ない様に思いました。
差が大きくとも話は出来ますし、差が小さくとも譲れないとこはあるなぁと感じました。
だからこそ自分で決めていくしかないのですね。
こんな当たり前の事が大学入学時に分かっていなかったのは、私だけかもしれません。
私はこれからひとり、映画に出会えたらと思っています。
卒業にあたりやっとそう思えました。

木舩理紗子(^^)

2011年2月15日火曜日

諏訪ゼミナールを振り返って 古澤淳

書く事が無い。自分の言葉で書けることが無い。とレポートをかく段階になって気づいたのでそれについて書きます。

振り返ってみると、いつだってゼミの論議がうまく滑りだした事はなかった。多くの場合そのような時は、ある時は、ある種の世代論になり。ある時は、「自分の場合」と、自身の作品や撮影方法、体験と結びつける形で各自が語りだしたり、まったく関係の無い個人の生理的な感覚から端を発する形で議論が進んでいったこともあった。ごく初期には、そういった場合になるにつけ、(この映画から話そうよ)と感じていた自分がいた。しかし、結局後期に近づくほど、いやかなり早い段階からそういった所から発生する議論のほうが自分にとってもおもしろく、建設的だった気がする。いや、単純にそういう皆の話を聞くのが凄く好きになっていった。自分は、自らの言葉に、あまり自分が映りこんではいない事が一つのスタンスであり、このゼミでの役割だとはじめは勝手におもっていたのだけれども、だんだんと発言の声が小さくなっていったように感じている。まあそんな「小さな話」事はどうでもいいので後で書く事にする。

大文字で語られるべき問題意識にそってではなく、個人からの見方がなぜ面白いと感じたのか、またそこにいかがわしさを感じ無かったのか。それは皆が作品と、あるいは作品を通じて語られている世界と自分なりに「関係」しようとすることで言葉を探していたからかもしれない。例えば撮影において、撮り手が対象と結ぶ関係とは、対象との友好関係うんぬんのことではない。時には対象を搾取的に扱いながらも、搾取的にというより、撮り手が、どうしようもなく対象を愛していたり、あるいは怒りを感じていたりと、要するにエネルギーを貰っているであろう作品に私達はいかがわしさを感じない。観客として語る言葉も同じではないだろうか。今、時代的に語るべきとされている問題意識に、あるいは映画の美学的な視点にあてこんで選択された問題ではなく、作品からを見てうけたの反応を、関係可能な問題として提出することは、結果的に多種多様な作品を作品から作り出す。(勿論、自身の視点には限界がある。それを跳躍したところからの言葉、なにがしの知識体系、からの言葉も無論同時に重要ではあると思う。が、自分はそこまで行けなかった。)
時には、映画の上映とトークショーにおもむき、作家と飲み交わすことさえ通じて、議論は重ねられる。作家さえ、作品について饒舌に語ることはなく、できてしまった「作品」を前にして、僕らと曖昧な議論を重ねた。そしてそれは刺激的だった。

という事で自分の話になる。

さきほど、「だんだんと自分の言葉が小さくなっていった」理由だが、結局それらの言葉は批評界隈から借りてきた物にすぎず、あまつさえ、そのふるった言葉の裏側にうすっぺらな自分を張りつけてるようにも思えたからだ。(今じゃそこまでは思ってないが)ペドロの時などは、会場に来てくれた人達ほど、自分自身が思いをこめた質問をペドロにできるだろうかという疑念にかられ、半ば自分に失望もしていた。

映画をめぐる議論において、何ひとつとして、決定される何かが無いのは知っていた。境界線をさぐる事自体が意味が無いのはわかっていた。いや、それを放り出す事が一番意味が無いこともわかっていた。”フィクションかドキュメンタリー”でなく、その間にある、”か”について、煩悶し、問いつづけることに意味があるとのっけからわかっていた。しかしそれはわかった気分だった。本当に自分はそうしていただろうか?本当に問い続けるとはどういう事なのだろうか?クエスチョンのままでは意味が無いのにそこで止まっていた。この事に対して、撮る人間、ショットを繋ぐことに悩んでいる人間を間近に見たり、映画をみたり、現代美術界隈の友人達の話を聞いて、あるいは自分の個人的な失敗を通じて、なんとなく答えがでてきた。そもそも、そういった問題は、実際皆わかっているわけで、しかし「自分」をそこにもってくる。私の映画はフィクションだと言いきる、(例えば佐藤真さんは、それを"フィクションに留まる矜持"と言っていた)あるいはドキュメンタリーだと言い切る。それは他者との差異化を求めているわけでは無く、「覚悟」なのだろうと感じた。あるいは田村君の言った、「気概」だろうか。この一年、いろんな気概を見た。自分から企画を立てる事、友人を映画に使う事、そしてそのシーンを切ること、こんな映画わからん。と言い切ること。スタッフに今日の交通費出ません。と言い切ること。そして撮影でカット!と言うこと。その「覚悟」を底にしいた自分の行動がある事で、問題を疑問として加速させる。

「ああ、ああいった覚悟を乗り越えて、よけいに自分で手に負えなくなっているような言葉達に対しては、こちらも覚悟をもった言葉が無いとダメなんだな別にダメじゃないんだろうけど、引け目を感じる理由だろうな、」と。気概が無かった。まさか諏訪ゼミのレポートがこんなにも纏まらなく、あれほど避けていた「自分の話」に留まる内容になるとは思わなかった。とにかく気概を持って今後、世界と関わっていこう。それだけだと思う。

一方的な感情ではあるかもしれませんが、ここでの時間を非常に愛していました。おいおい、窓ぐらい無いのかという密閉されたゼミ室。それに答えるかのような一回きりのカフェでのゼミ、愛知トリエンナーレでの道中の会話や飲み屋でのちょっとした意見の食い違い、ポレポレ、ユーロ、フィルメックスで映画を見終えた後の議論など、生きてたと思える時間でした。映画はある時期、僕にとって人生のアリバイのような失礼な接し方をしていましたが、あの時間は違いました。気概をもって感謝します。ありがとう。

2011年2月14日月曜日

映画専攻4年への連絡 追加講評会

業務連絡:明日15日(火)10:30より4-E教室にて、卒業研究の追加講評会を行います。講評を受けられなかった学生、完成の遅れた学生は必ず参加してください。