2010年7月3日土曜日

ペドロ・コスタさん

そのままのタイトルで申し訳ないです。
今日話したようにペドロ・コスタさんを迎える上でのポスタータイトル、テーマや質問などをみんなで前もって考えようといったためのものです。
外部の方もぜひお願いいたします。

5 件のコメント:

  1. 授業でも言いましたが、「血」と「ヴァンダの部屋」を上映しますしこれまでの映画制作のスタンスの変化などを改めて聴いてみたいです。
    あと、ものを「つくる」ということがペドロ・コスタ監督にとってどういうことか、なども他の学部に開けている気がします。

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  2. ツイッターでイベントのテーマで悩んでいるという事をつぶやいた所、彼の生と映画が切り離された状況の時つまりペドロの普段の生活が知りたい、、生活の中に映画を持ち込んで共に働くんだということはどういう事なのか知りたいという意見をいただきました。

    fukata君の意見とも被るのですが私は「生活」と「制作」への態度をテーマにしたいです。「生活」と「制作」は切っては切れない関係であり、誰にとっても問題になって行く事です。ペドロだけでなく他の学生がいったいどんな事を考え今後「制作」という物にどう付き合っていくのかを話し合えたらと思います。

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  3. たしかに他の学部生にも開かれた命題として、ペドロコスタの創作家としての個人的な態度を聞くのは、シンプルなだけにいいと思います。ただ、「わたしはものをつくっているつもりは無い」とかなんだかいいそうじゃないすか?笑
    もちろん、だからフカタ君は「つくる」とひらがな表記にしたんだと思うんですが、なにか別の言い方を考えられるきがします。

    あと、「生活」という言葉は二つの軸をもっているのでないでしょうか。「個人」と「社会」が交わる場所が「生活」だと思います。
    まず「制作」という問題があって、その後、「個人」から「社会」を観るのか、あるいはその逆かで、大きく命題はかわると思います。
    仮に「それを自分自身で考えるのが制作じゃないか」というような命題を、ペドロ•コスタせんせいに答えを求める形になったら、おいしくないですよね。
    ある種具体的に、「僕はこのままじゃ飯を食えねえんだが、あなたはどうやって食べてるんですか?」「地域をどう考えるか」、みたいに命題を細分化したほうがいいと思います。

    うーん。でも逆に曖昧なほうがペドロ•コスタも答えやすいのかもしれません。
    が、個人的にはあまりに漠然とはしないほうがいいとおもいます。どうすかね?

    あと、「なぜ、教育者として、ここにきてくれたのか」(「ここに」のここは造形大学というより日本です。)「映画を撮る」ことと「教育」についてどこかしらつながっているのか?(スレスレな質問ですが)
    なども聞いてみたいかもしれません。


    そもそも、講演なのか、ディスカッションなのかも考えないといけいのかな。

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  4. タイトルだけでも決めないと、ポスター担当者の方が動けないのでまずい気が。

    かといって応急的にきめてもアレなので、この際「ペドロ•コスタ特別講義」でもいいのではないかと思いますが;

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  5. 生活と造形はどうでしょう?という話を数人としました。

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